旅立ち

父が3度目の脳梗塞から1年目の秋10月16日未明に旅立った

新聞の葬儀特集を切り抜き、こんなふうに家族だけでいいからと語っていた父の希望通り

家族だけで静かに過ごしている

21時に今日は大丈夫かなと一時帰宅した午前2時母から「お父さん死んじゃった」と連絡があって駆けつけた時には心肺停止の状態だった。

それから訪問看護師に連絡して、朝8時50分3年間診療してもらった医師と友人の看護師が死亡確認に来てくれた

病院の電話番号なんだったろうと、自分が過去に勤務した病院の電話番号も一瞬わからなくなった

そんなものなんだなと気がつく

訪問して頂いた医師や訪問看護師には、私達家族を理解して対応いただき本当に感謝している

一番お世話になったのは週2回の訪問入浴の方々で、最後は亡くなる2日前だった。

これから夫を失った母のことが心配である

人はなぜ死ぬのかと問う母に私はどうしてだろうねと応える

若い頃、死について問うより今を生きることだと思ったけれど

今を生きるために死を見つめなおすこともあるのだと考えさせられる日である

 

黒岳へ

今期最後の登山に黒岳を目指した。

山頂は雪に追われロープーウェイに乗っていると係の人から「ロープーウェイも止まることがあるので無理はしないでください。」と言われた。リフトで7合目まで登り登山道に向かうと7合目ロッジにいる係の人に「登るなら記帳してください」と、また声を掛けられた。「15分だけです」と返事をしてちょこっと冬道を歩き下山した。山頂まで1時間半、されど冬山は侮れない。急に吹雪になりホワイトアウトになった。やっぱり怖いね~と下山し、あったかいラーメンと温泉で、今期の登山を終えたのでした。

孝和さんその後・・・

昨年11月3回目の脳梗塞で倒れ意識不明になった孝和さん

意識がはっきりしないまま1年が経った

体は動かせない

食事も食べられない≪胃瘻栄養≫

話もできない

できることは目をあけること瞑ること、口を開けること閉じること、咳をすること、排泄すること

ほとんどが無意識の動きのように見えるけれど、時々視線が合ったり、目を閉じたりする瞬間に意識がかすかにつながっているような気がする

下痢が続き、「お父さん入院するかい?」って聞いたら母を見た気がした

もう長くないかもしれない

もう十二分と語った日からずいぶん頑張ったと思う

生きていてほしいと思うのはエゴ?だと思うけれど

生きている限り自己と他人のエゴがあるのはあたりまえかなとも思う

「大丈夫ですか家で?」という言葉に一瞬の怒り

大丈夫ですか病院でという言葉を思わず飲み、「家で大丈夫ですかと心配してくれているんですね」と応える

もしかしたら、急に旅立ってしまうかもしれない

でも、心の準備なんかしない

その時、狼狽える自分がいても構わないと思う日々である

 

 

 

 

イワオヌプリ

イワオヌプリは、ニセコ積丹小樽海岸国定公園内に属する標高1,116 mの活火山である。山名はアイヌ語で「硫黄の山」を意味する。ニセコ連峰の中で最も若い火山であり、山肌は硫黄の結晶や火山礫に覆われている。ウィキペディアより

1000m級の山でも五色温泉から登ると約1時間ほどで登頂が可能なため気軽に登山することができる。

登るごとに視界が広がり、景色が変化する魅力的な山だと感じた。

登山口である五色温泉までのドライブも林道を登る快適なルートである。

ゆっくり景色を眺めながら登頂し、広い山頂で美しいニセコアンヌプリを眺めなが1時間程昼食タイム。

下山後は五色温泉に浸かり、心も体もすっかり癒されたのです。

春は出逢いと別れの季節

春は出逢いと別れの季節。

2001年2月、ホームセンターで私は彼女と出逢った。

スコットランド原産のウエストハイランドホワイトテリア族である彼女はこの世に来てからまだ3か月だった。真っ白で光沢のある柔らかな毛に包まれ、他の子犬たちはこちらに顔を向けているのに、彼女だけはこちらに背を抜け、一生懸命何かと戦っているかのように遊びの真っ最中だった。

前日、夫と犬を飼うならウエスティでいいねと相談し、何気なく立ち寄ったペットショップで彼女と会ったのも何かの縁と思いながら眺めていると、店員さんがすぐに彼女を抱かせてくれた。

片手に乗るような小さな体がブルブル震えていた。

「昨日東京から来たばかりなんですよ」とペットショップの店員さんが言う。

そうして、彼女は私と一昨日まで一緒に暮らしていた。

もっと、正確に言うと、私と夫と彼女の3人で一つ屋根の下に暮らしていたのである。

生まれてから15年と3か月、我が家に来てからちょうど15年で彼女は旅立ってしまった。

時々とても悲しいけれど、これはどうすることもできないのだから、少しゆっくり過ごすしかない。

一昨日は、論文の再提出の日だった。その日の夕方に旅立つなんて・・・。

今頃、どこかで飛び跳ねているだろうか?

それともまったくの無に?または、宇宙の一部となったかもしれない?

春には少し早いけれど、彼女と別れる季節に、新しい職場の人達と出逢えたこともきっと何かの縁なのでしょう。

会うは別れの初めという言葉があるけれど、素敵な出逢いがあればあるほど、それに比例した悲しみが必然となる。

上手に、もっと上手に悲しむことができる人になりたいなあ~・・・・t20140715-183539-66939252.jpg

 

 

 

50の手習いもそろそろ卒業

春は卒業の季節

50の手習いと大学院に入学したのは、いまから3年前の春だった。

父が脳梗塞で倒れ、研究にも行き詰まり、自分の限界を何度も感じながら、ノロノロと学生生活を送っていた私も、そろそろ卒業してほしいという教授の思いが勝ったのか、なんとか卒業できることになった。

11月に再度父が倒れた時は、休学した時の悪夢が蘇りめまいがしたが、その危機は一度目の失敗の学びでなんとか乗り越えることができた。

仕事を離れて学生生活を過ごせたのも、家族や友人、その他多くの方々のおかげである。

これから遅い再就職活動の開始である。

この場をお借りして、心ある職場に迎えられることを祈るばかりである。@^^@

2025年問題

2025年問題、ベビーブーム世代が75歳以上の高齢者になるという問題

この世代の人たちは、75歳を迎える前に日本を改革すべきと一生懸命な気がする。

10年後の2025年、私は62歳を迎える。その時、日本はどうなっているだろう?

10年前は、ちょうどこのブログを初めた頃だった。結婚して15年目の私は、上海の友人を訪ねている。その友人から上海の生活をブログにしてることを聞き、私も勧められ初めたのがきっかけだった。

あの頃から比べると、旅行も買い物もインターネットを利用したり、LINEで同級生と繋がったり、ともかく、通信費が増えたことが一番の変化ではないだろうか?

個人的な事情は、高齢化に伴い、義理の両親、実の両親と、1人ずつ介護生活から、看取りと、学びながらの実践が現在も続いている。

10年後は、86歳となっている母が生きているかどうかで、私の暮らしも違うと思うけれど、123歳まで生きてくれるといっていた母も、最近は、もう死にたいと常々話している。母にしてみたら、2025年問題など、それがどうしたという感じである。介護制度も、人が来るようになって面倒と文句をいっているし・・・

人は、その時々で気持ちが変わるものである。

10年後は、たぶん私はまだ、働いているでしょう。(元気であれば)
2人の祖母が92歳で世を去ったので、私も92歳までこの世を眺めてみたいと思う。

できれば、生きている間に、世界の戦争が終わったというニュースを聞きたいと思う。

雪景色

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数日の大雪で、窓から見る景色もすっかり雪景色になった。

春までには、今後の方向も決めなくちゃと思う。

昨日、やっと論文の提出をすることができた。これでなんとか来春に学生生活も卒業できそうである。

先月は父が倒れて、私自身が危機状態になり、また卒業もできないかも?とかなり焦っていたけれど、なんとかなるものである。

大学院でわかったことは、私は論理的思考ができなかったということ。人の話を聞かないということ、論文読んでも、ふんふんと感心してさっぱり、分析ができなかった。

先生に何度、投げ出されそうになったことか・・・

しかし、自分傾向がわかっただけでも、価値はあったと思う。

在宅で、家族を介護すること、人の死の過程を看取るということについては、まだまだ結果がでないのである。 やれやれ@^^@

 

 

父の介護

12月14日に父が退院した。

開眼してるが意識ははっきりしない。

退院後母が「お母さんって言って」と声をかけると微かに「お母さん」と話した。

それからは父が話すことはない。

夜間11時、2時と痰が絡むとごめんねといいながら、痰を取る。

時に涙を流している。

微かな意識の中父は何を感じるのだろう

父倒れて

父が11月5日に倒れて13日が経った

連日病院に通い父の状態を見る

閉じた目が少しずつ開き、続いた熱が少し落ち着いた。

多かった痰が少し減り、動かなかった足先が微かに動く。

毎日の変化を見ている家族が、痰が減ったと話すと痰は多いですよと看護師が応えた。

確かに口の中に痰が溜まることが多いけれど、入院当初は気管から多かった水溶性の痰が減ったのに…

窒息後の肺炎を心配していた家族の気持ちがわからないんだなと看護師に違和感を感じた。

病院勤務時代は、問題解決思考で考えていたことを思い出すと、看護師の考える指向性がわかる。

退院後再入院しないためには、在宅介護はもう無理なんじゃないか、施設入所の検討をした方がいいかなど退院支援とその家族の問題をまず考えるとしたら、痰が多くて大丈夫ですか?と言う配慮なのだ。

父は今後の母の負担を考え、療養病院に転院することを決めたけれど、やっぱり寂しがる母とできるだけそばにいさせてあげたい。

家族を在宅で看取ることをテーマにした私の課題は、やはり父を最後まで看ることかなと思う日々である。